2019年4月よりスタートとした「COOK JAPAN PROJECT」のイベントも1月末でフィナーレを迎えました。
これは世界各国の料理人を毎月3名ずつ招聘して繰り広げられていた 期間限定の特別なレストランです。
今回は2009年、ペルーの首都リマに「セントラル」をオープンさせ、
15年に「世界の50ベスト・レストラン」で第4位を獲得したヴィルヒリオ・マルティネスシェフをレポートします。
文・飯島千代子 料理写真・天方晴子 協力・株式会社グラナダ

ペルー・リマに2009年「Central(セントラル)」をオープン。15年に「世界の50ベスト・レストラン」で第4位、18年~19年は第6位。もともとはプロスケードボーダーを目指す。大学で法律を学ぶが中退し料理の世界へ。オタワとロンドンの「ル・コルドン・ブルー」で学ぶ。その後、マンハッタンの「Lutece」、カタルーニャの「カン・ファベス」、ドイツやシンガポールで働く。ペルーに帰国後は「アストリッド&ガストン」でエグゼクティブシェフを務める。

夫人のピア・レオンさん(写真左)も来日。ピアさんは自身のレストラン「Kiolle」をオープンし、「ラテン・アメリカ・ベストレストラン」では最優秀女性シェフ賞を受賞している。
ペルーを発信するアーティスト
白いTシャツに黒のスキニーデムニで颯爽と登場したヴィルヒリオ・マルティネスシェフ。
若さ溢れる細身の姿は、まるでミュージシャンのような印象です。
この日ダイニングでは、盛り付けのフィニッシュを見せるステージが特設され、マルティネスシェフを筆頭に、料理人の奥さまピア・レオンさんら若いスタッフたちが作業する様子は、まるでライブ・キッチンの見学といったところ。
現地の厨房の雰囲気も日々、このような感じなのかと想像しました。
南米ペルーは南北に細長く広がり、海と標高の高いアンデス山脈に囲まれた国です。
ペルーといえばマピュピチュやアマゾンの密林などを真っ先に思い浮かべる人も多いことでしょう。
そんな豊かなペルーの大地を、いい意味で想像とは異なる斬新な料理で表現しているのがマルティネスシェフです。
紫や黒色のトウモロコシや細長いカボチャ、キウイチャなどの穀類、キャッサバのようなユカやカブのような味で皮が赤や黄色のオルコなどの根菜類、さらに海産物、カカオ豆やスパイスのアチョーテ、アナトー(赤い天然色素)など、さまざまなペルーの食材を使っています。
それらをクリーム状にしたり、ソースやチップスにしたりと食感の違い、形状の面白さや色の演出など五感に訴えた料理でした。
たとえば「ホタテ、マカ、海藻」は海と山を表現したもの。
海の味は、酸味のきいたクリームソースでホタテをあえ、海中の軟体動物とコメを合わせてチップス状にしたものを飾っています。 山の味はマカの器にマカのクリームを詰めたもの。上から黒いマカのパウダーをふっています。ジャガイモのピューレのようにとても滑らかでした。

「かぼちゃ、アボカド、車海老 」はペルーの細長いカボチャを器にし、中身はカボチャのムースとなっています。ムースを食べ進めていくと、中には味付けされた車海老、一口大のアボカドが詰めてあり、濃厚な旨味が楽しめます。

「トウモロコシ、アンデス山脈の穀物」はペルーならではのトウモロコシづくしの1品。
ビビッドな赤や白、グレーのチップスもトウモロコシです。
白いトウモロコシのピューレにかかっているのは、高山地帯の野菜にフォン・ド・ヴォーなどを加え、そこに黒いトウモロコシのパウダーを加えたソースです。
トビコのように見える粒は、ペルー原産のキヌアの仲間のキウイチャという穀物です。

デザートは、標高3500メートルの場所にレストラン兼研究所として建てた「ミル」の周辺で収穫したカカオ豆を使ったカカオのバリエーションです。カカオの果肉を使ったゼラチン、種子をペースト状にしたもの、カカオ・クリームやカカオ・オイル、カカオ・ニブなど、カカオ豆の部位をいろいろと楽しむことができました。
カカオ豆まで自給自足できるからこその提案といえるでしょう。

写真真上から時計まわりで。カカオ・ニブのチュール、カカオ豆、カカオ・パルプ(果肉)にゼラチンをまぜたもの、中央はカカオのペースト、その下はチョコレートムース。その上にかかっている白く見えるものはカカオ・パルプとメレンゲを混ぜたものを冷凍し、液体窒素にかけたもの。左はチョコレートのガナッシュにユカのチュールとカカオ・オイルをふったもの、左上チョコレートのアイスクリームの上にペルーのクレー(土)など3種類のパウダーをふったもの。
ペルーのアイデンティティを探求
今回、マルティネスシェフのコースを味わって、ペルーの食材には、日本人にはまだ馴染みの薄いものがたくさんあると知ることができました。 このようなアンデスの穀類や根菜、アマゾンの魚や高地の食材について探求を深めるためマルティネスシェフは人類学者や植物学者、哲学者らとチームを組み、ペルー食文化の研究機関を設立したそうです。
料理人としてペルー料理を表現するため、食材などを求めていく姿は、どことなく彼の師であり、ペルーを代表する料理人ガストン・アクリオシェフに重なります。
マルティネスシェフは独立する前までは、アクリオシェフのレストラン「アストリッド&ガストン」でエグゼクティブシェフを務めていました。
アクリオシェフは「エル・ブジ」(2011年閉店)のシェフであったフェラン・アドリア氏と交流が深いことでも知られています。
二人でアマゾンのジャングルやペルー各地を旅して、食材や伝統料理、そして現地の人々に触れるドキュメンタリー映画もあります。
映画の中では貧しい村にカカオを植え経済の改善を試みたり、料理学校を設立して、子供たちに夢を与えたりするアクリオシェフの姿が映しだされていました。
マルティネスシェフは、大学を中退してオタワやロンドンの「ル・コルドン・ブルー」で料理を学びました。
その後はニューヨークやカタルーニャなどのレストランで修業を積むにつれ、ペルー料理とは何か、それを世界に向かって発信するにはどうすればよいのかを、感じ始めたのかもしれません。
帰国後アクリオシェフの元でペルーの食材に改めて魅せられ、自身の答えを見い出したのでしょう。
日本が好きで幾度となく来日しているマルティネスシェフ。好評を博した昨年6月の前回の会に続き、「COOK JAPAN PROJECT」で2度も腕をふるったこの経験が、今後、どのようにマルティネスシェフの料理に取り入れられていくのか楽しみです。